ずっと、一本足では立てなかった
気づいたら、ずっとそうだった。
「収益源を増やしたい」という気持ちは、明確な瞬間があったわけじゃない。ホテル業界にいた頃から、社内でソックスを販売してみたり、Amazonに手を出してみたり、情報商材を買ってみたり――振り返れば、ずっと一本足では立てないと感じていた気がする。
なぜそう感じていたのか。当時はうまく言葉にできなかった。
けれど、独立して数年経って、ようやく自分の中で輪郭が見えてきた。
これは、「複数の足で立つ」という選択についての話だ。
「自分の人生の収益が、相手次第で決まる」違和感
会社員時代、ずっと違和感があった。
給料を上げるには上司に気に入られないといけない。お伺いを立てる、機嫌を取る、評価される側に回り続ける――そういう構図が、自分には合わなかった。
働くこと自体は嫌いじゃなかった。むしろ、64日休まず働いた時期があったくらいだ。動くこと、責任を取ること、結果を出すこと――そこに不満はなかった。
ただ、「自分がやったぶんが、自分の収益にならない」ことに、いつも引っかかっていた。
頑張っても、評価する側の機嫌や事情で、結果は変わる。逆に、頑張らない人でもうまく取り入れば評価される。そういう仕組みの中で、自分の人生の収益が、相手次第で決まる――これが、一番嫌だった。
独立への憧れというより、もっと根本的な違和感だった。
「自分のやったことが、自分に返ってくる仕組み」の中で生きたい。
それが、僕の最初のスタートラインだった。
焦って、足を植え間違えた
社内ソックス販売、ネットワークビジネス、Amazon、せどり――いろいろ手を出した。
ホテル時代の終盤には、eBay海外販売、Amazon、不動産投資と、立て続けに高額商材を買い込んだ時期もあった。「これで足を増やせる」と信じていた。けれど結局、どれも続かなかった。キャッシュフローが回らなくなった時期もあった。
今振り返れば、原因は単純だ。
「とにかく足を増やしたい」という焦りだけが先走って、足の植え方を間違えていた。
土を見ずに、種類も選ばずに、ただ植えれば育つと思っていた。
このときに学んだのは、足を増やすのは、急いでやる仕事じゃないということ。育つには時間がかかるし、育つ土を選ぶことのほうが先だった。
福山通運という助走期間
ホテル業界を辞めるとき、独立したい気持ちはもう固まっていた。会社には「独立したいので」と伝えて辞めた。
ただ、家族を抱えて、貯金もほとんどない状態でいきなり独立するのは、現実的には危険すぎた。
だから「独立への助走期間」を設けることにした。副業ができる環境への転職――福山通運だった。
土日休み、朝は早いが夕方19時には帰れる。本業として安定した給料をもらいながら、夜と週末で次の足を準備できる。そういう環境だった。
自分の中で、「3年間」と区切っていた。3年あれば、複数の足を育てられるはずだ、と。
実際にはコロナと重なって、辞意を言い出せない半年があり、結果として3年半になった。世界の都合は、設計通りには進まないものだ。
それでも、福山通運での3年半は、自分の中で大切な時間だった。生活を支えてもらいながら、次の足を植える準備ができた。お世話になった会社だ。
足の本数じゃなく、足の種類
転職してから、副業のひとつとしてフードデリバリーを始めた。
あるとき、配達中にバイクで事故を起こした。幸い大事には至らなかったが、ヒヤリとした。その瞬間、ふと気づいたことがある。
福山通運の本業も、フードデリバリーの副業も、どちらも免許を使う仕事だった。
もし免許が剥奪されるような事故になっていたら、本業も副業も、同時に失っていた。
「複数の足」を持っているつもりでも、その足が同じ根っこから生えていたら、まとめて倒れる。
これは、衝撃だった。
足の本数を増やすことばかり考えていたけれど、本当に必要なのは、足の種類――リスクの性質を分けることだった。
体を使う仕事、頭を使う仕事。資格に依存する仕事、依存しない仕事。場所に縛られる仕事、縛られない仕事。
ひとつが倒れても、別の足で立てる。そういう設計が必要だった。
「複数の足で立つ」ことの本当の意味は、ここにあった。
何のために、複数の足で立つのか
今、自分にはいくつかの足がある。中身は別の記事で書くつもりだ。
ひとつだけ言えるのは、お金のためだけに足を増やしているわけじゃない、ということ。
お金は土台だ。生活を回すために必要だし、それがなければ何も始まらない。けれど、土台のために生きているわけじゃない。
本当に守りたかったのは、もっと別のものだった。
―― 自由(会社の都合で、人生の形が決まらないこと)
―― 家族(子どもの成長を、見られる距離にいること)
―― 魂(「これだ」と思える仕事に、時間を使えること)
複数の足で立つことは、これらを守るための手段だ。目的ではない。
手段である以上、足の本数も種類も、人生の局面に応じて変わっていく。今の足が、5年後の足とは限らない。
それでいい。
一本足で立たなくていい、というのは、変化に強くいられる、ということでもあるから。