家族と暮らし

月曜の夕食を、家族と囲むことにした

家族の人数分の茶碗とお箸が並ぶ食卓

家族の記事を書こうと思って、今日はデスクに向かっている。

朝、子どもたちと妻を見送ったあとは、たいていこの席に座る。書き物をしたり、頭の中を文字にして書き出したり。余裕がある日は、家族が起きる前に起きて、まだ静かなうちにそれをやる。

一通り書き終えると、ベランダに出る。メダカに餌をやり、観葉植物と盆栽に水をやる。数日のあいだ、ベランダで寝かせておいた水を。

春先のいまは、メダカが卵を産む時期だ。産卵床に産みつけられた卵を、孵化用の水槽に移していく。針子と呼ばれる小さなメダカが、次々に生まれてくる。

ベランダのあとは、トイレを掃除して、玄関や床も二日に一度くらいの感じで掃く。それから昼前に、配達に出る。

ピーク時間を狙ってバイクを走らせる。配達中は配達に集中するしかないんだけど、信号待ちや次の依頼を待つあいだに、不思議とアイデアが湧くことが多い。

夕方に帰ってきたら、筋トレをして、空手の稽古をする。一番下の子は習い事をやめて自由人になっているので、一緒にやろうと誘う。私と似て自由が好きな子だから、外で何かしてほしいという、これは親としての願いでもある。

——というのが、最近の私の一日だ。

朝のベランダの金魚鉢と観葉植物

こうやって書き出してみて、あれ、と思った。

この一日のなかに、定期的に家族みんなで食卓を囲む時間が、入っていない。

学校の行事や、家族のイベントには、参加できるようになった。独立したのは、そういう時間を取れる自分でいたかったからでもあるけど、夕食の時間は——ちょうど私が配達に出ている時間と、重なっている。ずっと気にはなっていた。家族と一緒に食べるのは、誰かの誕生日や実家に行ったときなど、何かのイベントのときくらいになっていた。

上の娘は高校二年生になった。来年は受験で、県外の大学に行きたいと言っている。

一緒に夕食を食べられる日が、あと何回あるんだろう、と思った。

いろんな本や、成功した人の話の中で、人生の最後に何を後悔するかという話をよく聞く。多くの人が口を揃えて言うのは、「もっと家族と時間を過ごせばよかった」というものだ。お金をどれだけ稼いだ人でも、最後に残るのはそこなんだ、と思った。

私は自分の人生は自分で決められると思っている。このブログでも、そう書いてきた。だったら、これも自分で決めればいい話だ。

来週の月曜日から、家族と夕食を食べることにした。

週に一度、月曜日。三十分でも、一時間でもいい。同じ食卓に座って、同じものを食べる。

大層なことでなくていい。一緒に座り、同じ空間をともにする。何気ない話をする。存在を共有する。そういう当たり前のことが、世界中の大富豪が最後に価値を見出すものなのだと、いま、気づけた。それに感謝したい。

ABOUT ME
ゼロパパ
鹿児島の父ちゃん。妻と3人の子どもと暮らしています。 17年続けたホテル業界で心を壊しかけ、独立を決意。 今は配達・空手体験・Airbnb・WEB制作で働きながら、 取り戻した時間で家族と過ごしています。 同じ状況にいる父親たちに届けたくて書いています。