独立と再起

あの会社にいた17年は、無駄じゃなかった ― 振り返れば、ぜんぶ土台だった

今の僕の一日

朝は、デスクワークと、こうして文章を書く時間。

昼前、バイクで街に出る。フードデリバリーの注文を受けて、保温ボックスを積んで走る。鹿児島の街角を、誰かのランチを届けて回る。

午後、家の和室で外国人ゲストを迎える日もある。白い道着に身を包み、空手の型を伝える。鹿児島を訪れた人たちが、文化の一片を持ち帰っていく。

駐車場と太陽光発電は、もう手がかからない。問題があった時だけ動く、それで回っている。

WEB制作は、依頼が入れば手がける。今は、自分のサイトを、自分の手で組み立てている日々だ。

鹿児島の片隅で、複数の足で立って、家族と暮らしている。

派手ではない。けれど、自分で選んだ働き方だ。

そして気づく。この生き方の土台はすべて、17年勤めたあの会社で作られていた、ということに。


引きこもりからの始まり

会社に入ったのは、引きこもりからの脱出だった。

大学を中退し、福岡で一人暮らしをしていた僕は、ある時から外に出られなくなっていた。両親は鹿児島から何度も車で駆け付けてくれた。「親もいつかは死ぬ。このままではいけない」――そんな思いだけはあった。

警察官試験に2回落ちた。宅建の参考書を買って勉強した。再受験のお金は親に出してもらえないと言われ、自分でアルバイトを探した。

選んだのは、ホテルやレストランへのサービススタッフを派遣する小さな会社だった。

「接客なんて、引きこもりだった自分にできるのか」と怯えた。けれど、エイヤの思いで飛び込んだ。

そこで僕は、若いスタッフたちと食事に行き、キャンプに行き、釣りやツーリングに行った。大人になって初めての恋愛もした。後に妻となる女性とも、その会社で出会った。


社員になった日

24歳の年末、社長から「社員にならないか」と誘われた。

同じ時期、父からも「一緒に仕事をしないか」と誘われていた。けれど、僕はホテル関連事業の社長についていく道を選んだ。「事業発展する社長の背中を見て、経営者の生き方を学びたい」――そう思った。

亡くなった義兄からも、踏み切る言葉をもらっていた。

「大きな会社で歯車として働くより、小さな会社のほうが、経営の勉強になるよ」

社長との面談で、僕は聞いた。「ボーナスはありますか?」

社長は、きっぱりと答えた。事業はうまく行けば還元できる。けれど、保証はできない――そういう趣旨の言葉だった。

これが事業家の本音だ、と今では分かる。けれど当時は、小さな会社の不安定さを感じた言葉でもあった。

それでも僕は決めた。安全より、学びを取った。引きこもりから抜けたばかりの何も持たない自分が、大企業に入れるはずもなかった。

翌年の1月1日、社員として初出勤した。


教わった言葉

社長から、いくつもの言葉をもらった。今でも忘れない教えがある。

小さくてもいいから、ちゃんと動きなさい。必ず神様が見ていて、チャンスを与えてくれる――そういう趣旨の言葉だった。

僕はその教えを信じて、動いた。

鹿児島で一番大きな老舗ホテルでの常勤の話をもらった時、繁忙期の10月から12月までの64日間、休みなく働いた。誰かに命令されたわけではない。将来の社長像を思い描いて、自分の責任を全うしようと、自分で決めた。

毎週10冊、本を買って読んだ。神田昌典さんの速読セミナーに、横浜まで泊まりがけで通った。早朝出発でセミナーに行き、一泊して早朝のフライトで帰鹿し、10時から仕事――そんな強行軍で、東京のセミナーにも何度も行った。

社長が、ホテル関連事業の収益で大きな不動産投資もしていることも、学ぶべきところだと思っていた。当時流行っていた『金持ち父さん貧乏父さん』を読んで、憧れていた。

会社の中で、忘れ物をしたスタッフ向けに小さな販売事業をやってみた。Amazonで本を売ることもしてみた。何かを試して、動き続けていた。

この時期の僕は、明確に「経営者修行中」だった。


道が途絶えた日

けれど、いつしか「この会社で社長になる」という未来が、消えた。

経験豊富な先輩社員が入ってきた。社長の長男も、外で修行を経て、入社してきた。

僕の社長への道は、客観的に見て、消えた。

代わりに、僕は中間管理職として、責任ばかりを背負う立場になっていった。役職をもらった時、家族には喜ばれた。けれど内側では、独立への思いが再び大きくなっていた。

その思いを、社長には相談できなかった。長年世話になった社長に、「独立したい」とは言いづらかった。

抱え込んだまま、僕は心を病んでいった。

心療内科に通った時期もあった。診断書を社長に見せて、役職を外してもらった。それでもしばらく、僕は会社に残った。


17年で身についていたもの

辞めると決めて、独立して、複数の事業を組み合わせて生きるようになって、しばらく経って気づいた。

あの17年で、僕は本当にたくさんのものを身につけていた。

―― ホテルの現場で叩き込まれたサービス業の感覚は、今、外国人ゲストへの空手体験で生きている。一期一会のもてなし方、相手の表情を読む力、空気をつくる技術。これらは机上では学べない。

―― 社長の背中から学んだ経営感覚は、今の複数事業の運営につながっている。お金の流れ、責任の引き受け方、判断の基準。事業家としての覚悟が、今の僕の中にある。

―― 64日休まず働いた粘り強さは、毎日の配達という地味な仕事を続ける力になっている。何度も繰り返す。同じことを誠実にやり続ける。それは派手ではないけれど、実業の本質だ。

―― 毎週10冊本を読み、東京のセミナーに通った自己投資の習慣は、今、こうして自分の考えを文章にする力になっている。当時の僕が積み上げたものが、今、別の形で実を結んでいる。

―― そして、社長から教わった「小さくてもちゃんと動きなさい」という指針は、今も生きている。フードデリバリーの一件、空手体験の一件、Airbnbのゲスト一組。小さな仕事を、ちゃんと動いて、丁寧にやる。それを続けている。

ぜんぶ、無駄じゃなかった。

道が途絶えたことも、心が壊れかけたことも、すべて含めて、今の僕の土台になっている。


あなたの「今」も、きっと土台になる

もしあなたが今、苦しい場所にいるなら。 意味があるのか分からない仕事を続けているなら。 「自分はここで何をしているのだろう」と感じているなら。

伝えたいことがある。

その経験は、後から振り返れば、ぜんぶ土台になっている。

無駄に見える日々が、無駄ではなかった、と分かる日が、必ず来る。

僕は17年かかった。長すぎたかもしれない。けれど、あの17年がなければ、今の僕はない。

あなたの今も、きっと、後で振り返ることになる。

その時に、「無駄じゃなかった」と言えるように、目の前のことを、ちゃんと動いていけばいい。

社長から教わった、あの言葉のように。

ABOUT ME
ゼロパパ
鹿児島の父ちゃん。妻と3人の子どもと暮らしています。 17年続けたホテル業界で心を壊しかけ、独立を決意。 今は配達・空手体験・Airbnb・WEB制作で働きながら、 取り戻した時間で家族と過ごしています。 同じ状況にいる父親たちに届けたくて書いています。